なぜ茶道、なぜ茶室 その4 茶室の建築

ここで改めて、茶室とは

茶室は「数寄屋」(すきや)とも呼ばれます(牛丼店ではありません)。「好き家」(すきや)あるいは「空き家」(すきや あきや ではありません)と書くともいわれています。岡倉天心は著書「The Book of Tea」(「茶の本」)で、東洋的な哲学を茶の湯の成り立ちを通して西欧人に紹介していますが、その中で茶室についても詳しく紹介しています。ここで改めてその内容をベースに「茶室とは」を私なりに解釈して書かせていただきます。

茶室は日本人の精神性の象徴

「数寄屋」(すきや/Abode of the Unsymmetrical)の数寄は奇数を意味し、左右が対称な西洋の建築の対し、決して均等に二分できない非対称の建築物を意味します。対称が中心から2分割できる完全な形であるのに対し、非対称な建築物は不完全であることを意味します。日本人はあえて不完全を楽しむのです(例えば、雲の形を何かに例えて楽しむ、雲は完全にその形を成しているわけではありません。「見立て」を楽しむ心にも通じます)。西洋の建築物が石やコンクリートを用い永遠を目指したのに対し、茶室は今にも倒れそうな細い柱を用い、藁で屋根をふき、竹で樋をめぐらせます。これはすべてが無常であることを受け入れることです。人もまた自然の一部であり、永遠ではないことを示しています。

「好き家」(すきや/Abode of Fancy)は読んで字のごとく、個人の好みにかなう家。好みとは個人の精神性を実現するということであり、その個人が死ねばその意味も消えてしまう。これも無常を意味するものといえるでしょうか。

「空き家」(すきや/Abode of Vacancy)は空間を含んだ家という意味です。茶室は空間だけを提供し、そこにどのような花を生け、どのような絵あるいは墨蹟を飾るか。どのような道具を用い、どのような客を迎えるか。一服の茶を楽しむためだけに準備され、終われば元の空間のみに戻る。儚い人間の一生と同じですが、この空間は自由自在に中身を変え、個人の要求を無限に満たすことも可能です。

では、どのような茶室を建てますか

わたくしの場合、茶室を建てるといっても、予算も土地も限られていました。露地も含めて100㎡未満で、くずした台形のような形の土地。予算は露地の整備も含めて1200万円未満。

材料の吟味や細かな技術面で、いわゆる「数寄屋づくり」を地元の棟梁にお願いするには無理がありました。専門の数寄屋大工さんを頼ればきっと大きく予算をオーバーしたことでしょう。私にできることは地元の大工さん、地元の造園業者さんで実現可能な「好き屋」で「空き家」を目指すことでした。

幸い夫は建築に深く興味を持っていて、これまでもことあるごとに茶室と呼ばれる建物をみて歩き、あらゆる文献をあたって平面図や細部の設計を担当してくれました。夫が3D図面で幾とおりもの間取りを示してくれたので、私も自分の要望を詳細に伝えることができました。

茶室が完成

退職から2年が経過した2014年、念願の茶室が完成しました。
これからはこの空間をいかに満たしてゆくかが私の課題です。自らが自然に帰すまで、ここで多くの人と茶の湯を楽しんでいきたいと思います。

次回からは、私が生まれ育った深谷市出身の「渋沢栄一」と「茶の湯」の関係について、書くことができればと思います。

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