なぜ茶道、なぜ茶の湯 その3 茶室の要件

茶室の建築をめざして

若いお弟子さんに「自宅に和室はありますか」と聞くと、「ありません」という答えが返ってきました。実際、私の二人の息子が新築した家の間取りを見ても、どちらにも和室はありません。

ダイニングテーブルで食事をし、リビングソファで寛ぐ(くつろぐ)ことが当たり前になった現代において、和室は使い勝手のよいものではないようです。したがって、私たちお茶を指導する者も「テーブル形式の茶道」「テーブルとイスを使ったおもてなし」などの方法を少しずつ工夫しているのは時流に沿った自然な流れと言えます。

茶室はどのように変わってゆくでしょうか。

利休の茶室は侘びの結晶

16世紀以降、茶室は茶匠(ちゃしょう)と呼ぶべき名人の手で、意匠をこらした建築がなされてきました。国宝として名高い千利休の傑作「待庵」はたった2畳からなる茶室です。これは当時の権力者秀吉に対峙すべく、身分やモノの優劣に依存しない、心の働きだけを追求した利休の茶室であり、侘茶の結晶です。

現代の私たちは、幸福なことに平和と平等を享受できる世の中(様々な紛争、戦争、不平等な社会は依然としてありますが)に生きています。故に、逆に残念なことに、おそらく、2畳の茶室は息苦しく、そこで本当に心を開放できるか、未熟な私には、はなはだ疑問です。(実際に待庵を訪れたことのある方は「思ったより広く感じる」という感想を持たれるようです)

私が求める茶室の役割

漠然と思い描いていた未来の自分は「香が漂う空間で釜鳴りを聞きながら、茶の湯の指導をする」というものでした。なぜ、指導することが必要なのか。それを継承したいからです。継承すべき文化的価値を見出したからです。

躙(にじり)り口の役割:躙り口は茶室の入り口です。80cm四方くらいの大きさで、体を小さく屈め(かがめ)ないと入れません。16世紀、千利休が考案しました。身分の違いによる人と人との差別をなくすため、入り口で武士から刀を取り上げることが目的でした。ひとたび茶室に入れば、亭主と客は全く平等です。主客同一。主観と客観が同時に入れ替わり、互いの思いを受け取ることができる。茶の湯を学ぶことで、そういう訓練ができる。

 

水屋の役割:水屋は点前で使用する道具、茶わんや茶筅(ちゃせん)などを洗う場所です。洗うことを「浄める」といいます。日本には古来、水によって体を浄める禊(みそぎ)という習慣があります。「水に流す」という表現もよく使われますが、自然の最大の恵みである水は人間の体も心もきれいにする浄化作用があると考えられています。茶の湯では清潔であることが尊ばれますが、そこにどのような意味があるか、やはり伝えていかなければと思うのです。

以上のような理由から、現代の私たちが求道的にも、また、心を開放できる空間としても利用できる茶室を実現するとしたら、どのような形がいいのだろうか。様々に悩み、研究し、たどり着いた結果は次のようなものです。

「広さは4畳半」「躙り口」と「水屋」がある。

具体的にどのように建築したか、また次回に。

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