なぜ茶道、なぜ茶の湯 その2

お茶の先生というと、親の代から引き継いだ茶室や道具がある、という方も多いのではないでしょうか。しかし、私の場合は全く白紙からのスタート。茶道具は全く持っていませんでした。

最初の茶道具

最初に手にした茶道具は茶碗でした。

最後の朝鮮王朝に日本の皇族から嫁ぎ、波乱の生涯を送った李方子(りまさこ)さんの(正確にはその工房の)制作によるものです。

(李方子さんについては、林真理子さんの著作「李王家の縁談」に詳しく書かれていますので、興味のある方はお読みになってみてください。)

1970年頃、父が韓国旅行に行った際、おみやげとして買ってきてくれたものです。
焼き物に詳しかった友人に伴われ、直接方子(まさこ)様にもお会いしたそうです。「日本の方に会えてうれしい」とおっしゃったと聞いています。

この茶碗は、いわゆる彫三島(ほりみしま)です。
三島というと日本古来の焼き物のように思われがちですが、そもそも朝鮮半島で使われていた茶碗の模様が静岡県にある三島神社の暦の文字に似ていたことから、この手の茶碗を三島手(みしまで)と呼ぶようになった、と聞いています。

褐色の土に、勢いのある白の刷毛目が美しく、いかにも茶人の好みそうな作風です。

高校生だった私は、まだその茶碗の美しさを語ることはできませんでしたが、最近になってやっと、美しいなぁと思えるようになりました。

お茶を志す決意の道具

おてんばで向こう見ずな娘を、なんとか人並みの人間に育てようと、お茶の稽古に通わせた母。
そこで出会った尊敬すべき師。

いつしか私はこの道を志すようになっていましたが、「茶道教授」という看板をいただいたところで、何をどうしたらよいのか、20代、30代の頃はまったくわかりませんでした。

それでも粘り強くお茶の道を歩いていくうち、自分の中に形作られていくものがありました。

そうして出会ったのが「畠春斎(はたしゅんさい)作 笙釻付面取釜(しょうかんつきめんとりかま)」です。
富山県高岡市の鋳物工場で出会いました。

義理の父が遺してくれたお金の一部で「何か形の残るものを買ったら」と夫が薦めてくれたのです。

名前にある「笙」は雅楽の楽器のことです。天から降り注ぐ光を表現すると聞いています。

この釜で湯を沸かすと、静かな釜鳴(かまなり)があります。茶の湯では「松風(しょうふう)」と呼びますが、私の耳には「笙の笛」の音であり、天から降り注ぐ光を感じる音です。

この釜と出会い、手元に置くようになってから、いつかこの釜で笙の音を聞いてみたい、それには炉がなくては、炉を切るには茶室がなくては、との思いが強くなり、とうとう後先を顧みず、茶室を建築するに至ったのです。

茶室の建築については、この後のブログでお話しましょう。

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