前回茶花について、とても簡単な私なりの定義を書きましたが、もう少し踏み込んで、茶花について考えてみます。
目次
<茶室にあるただ一つの生命>
茶室には、亭主と客という人間がいます。あるいは、「独座観念」の場では亭主のみの場合もあるかもしれません。
いずれの場合でも、茶室に、人間以外で生命を持った存在は花のみです。
客を迎えるにあたり、亭主は様々な道具組を考えますが、最も心を砕くのは花ではないでしょうか。
花は時には庭に咲いているものもあるし、時には道端に見つけることもあります。
客を迎えるその日、その季節、客の心を惹きつけ、なごませ、あるいは驚かせることができる花。
命あるものゆえ、今朝生けて、夕べにはしおれてしまうこともあります。
今、開かんとするつぼみを生けたのに、夕べには開きすぎ、趣を失うこともあります。命あるものの宿命です。
<床の間に置かれる重要性>
花は掛け軸と同じように床の間に飾られます。茶事では、後座に花のみが飾られることもあります。
花を床の間に置くのは、仏事に用いられたことに由来するといわれています。
しかし私は、茶人が花に重要性を感じるのは、「花は人間に、生命の誕生と終わりを簡潔に教えてくれる重要なツールととらえている」からだと思うのです。
<花を生ける術>
数十万、数百万円の茶碗や茶入れより大切な今日の「花」。
花はそこにあるだけで美しいのですが、茶人はそこにいくつかの法則を見出し、それをあてはめ、一輪の花さえ芸術品に相当するものに変えようとします。
時代を追うごとに茶人によって見出された法則は増え、どの法則に従えば花をさらに美しい芸術にまで高められるのか、現代の茶人は迷路にはまってしまっているようです。
むしろ、利休さんの原点に帰り、「花は野にあるように」生けるのが最も美しいといえるでしょうか。実は最もむずかしいのですが。


