茶花の話 2

前回茶花について、とても簡単な私なりの定義を書きましたが、もう少し踏み込んで、茶花について考えてみます。

<茶室にあるただ一つの生命>

茶室には、亭主と客という人間がいます。あるいは、「独座観念」の場では亭主のみの場合もあるかもしれません。

いずれの場合でも、茶室に、人間以外で生命を持った存在は花のみです。

客を迎えるにあたり、亭主は様々な道具組を考えますが、最も心を砕くのは花ではないでしょうか。

花は時には庭に咲いているものもあるし、時には道端に見つけることもあります。

客を迎えるその日、その季節、客の心を惹きつけ、なごませ、あるいは驚かせることができる花。

命あるものゆえ、今朝生けて、夕べにはしおれてしまうこともあります。

今、開かんとするつぼみを生けたのに、夕べには開きすぎ、趣を失うこともあります。命あるものの宿命です。

<床の間に置かれる重要性>

花は掛け軸と同じように床の間に飾られます。茶事では、後座に花のみが飾られることもあります。

花を床の間に置くのは、仏事に用いられたことに由来するといわれています。

しかし私は、茶人が花に重要性を感じるのは、「花は人間に、生命の誕生と終わりを簡潔に教えてくれる重要なツールととらえている」からだと思うのです。

<花を生ける術>

数十万、数百万円の茶碗や茶入れより大切な今日の「花」。

花はそこにあるだけで美しいのですが、茶人はそこにいくつかの法則を見出し、それをあてはめ、一輪の花さえ芸術品に相当するものに変えようとします。

時代を追うごとに茶人によって見出された法則は増え、どの法則に従えば花をさらに美しい芸術にまで高められるのか、現代の茶人は迷路にはまってしまっているようです。

むしろ、利休さんの原点に帰り、「花は野にあるように」生けるのが最も美しいといえるでしょうか。実は最もむずかしいのですが。

 

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