<吉野弘生誕100年記念講演から>
吉野弘は1926年、山形県酒田市に生まれた。酒田は北前船が北海道と大阪を行き来するための寄港地として栄えた。特産の紅花は京都の友禅染にも使われ、紅花一升、金一升といわれるほどで、酒田が栄える一因ともなった。京や九州の文化が入る気風を家族は愛し、誇りにも思っていた。
弘は一歳半のとき、疫痢(えきり)にかかった。医師からは死を覚悟するよう言われ、水を飲むことを禁じられた。しかし、一歳半の弘は水が飲みたいあまり、夜中に土間に溜まった水に近づいた。父親は見かねて、もう命が終わってしまうかもしれないわが子を不憫に思い、新しい水を茶碗に入れて飲ませた。
すると、不思議なことに命は救われ、病から回復したのだそうだ。成長した弘は、わんぱくで、成績は優秀だった。尋常高等小学校を卒業するときは卒業生を代表して壇上にも上がり、それを病弱だった母がとても喜んでくれたので、母の笑顔見たさに弘は勉強を頑張ったそうである。
と、ここまでは長女である久保田奈々子さんの講演から抜粋しました。「父、吉野弘」という本が6月26日(金)から発売されるそうです。それまでに続きを書くことができれば書きますが、続きはこの本を読んでいただくほうがよろしいですかね。
<詩をお読みください>
私が感銘を受けた詩の中から、「生命は」を紹介します。
生命は
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


















