誰にでも病は訪れます

闘病記というほどではありませんが

喜寿を迎えるころとなりました。いくつかの病は経験しましたが、初めてガンを宣告されました。

切除から約一年、まだまだ闘病のさなかですが、ブログが滞った言い訳を兼ねて少し振り返ってみます。

病は突然

昨年、3月の大寄せ茶会も終わり、日々の稽古に忙しく過ごす中、突然の不正出血に不安を覚え、病院に駆け込みました。

当初の医師の見立ては「子宮体癌」。しかし、術後の詳細な結果は「子宮がん肉腫」でした。いわゆる「希少ガン」に属し、治療の例も少ないものです。「転移が確認されれば余命数か月ということもあり得ます」という医師の言葉は「あなた、もうすぐ死ぬかもね」と聞こえ、病院からの帰りの車は夫も息子も口数少なく、私は8月の緑の景色を見て「これが地球の景色ね。草いきれが匂い立つようだわ」と独り言のように心でつぶやいていました。

ストーマって何?

8月のお盆のころに手術を計画していましたが、6月の終わり頃から発熱し、緊急入院。当初の予定を早めて7月24日に手術となりました。

7時間に及ぶ手術でしたが、ずっと寝ていた身には何がおこっているかもわかりませんでした。ずっと控えていた夫には気の毒だったと思っています。

手術から目覚めれば、なんと右の脇腹に「ストーマ」という人工肛門がついていました。子宮と一緒に大腸の一部も切除したので、残された大腸がきちんと働けるようになるまで人口肛門で排泄物を処理するのだそうです。

このストーマを付けた自分の姿はショックでした。一時的な処置とはいえ、この期間は7か月に及びました。数日おきに便を受け止めるプラスチックバッグを交換しなければならず、食したものが詰まってしまわないか、破裂したらどうしよう、漏れていないか、など気持ちが休まるときはありませんでした。

今年の2月末にストーマ閉鎖の手術を受け、やっと人並みな行動をとれるようになりました。

抗ガン剤の後遺症

ストーマとの不安な生活に拍車をかけたのが、抗がん剤投与とその副作用です。

抗がん剤投与を始めて最初の1カ月くらいはあまり変化を感じませんでした。しかし、回を重ねるに従い、髪が抜け始め、数メートルを歩くにも呼吸は乱れ、手足は言うことを聞いてくれません。

4週おき、6回の投与が終わったのは12月の終わりころでした。

投与期間中は免疫機能が落ちているため、人込みには近づけず、足の運びもおぼつかないので、外に出ることはめったにありませんでした。

貧血の症状も顕著で、輸血もしました。

やっと外出

そんな隠遁生活のような日々を徐々に抜け出て、最近やっと一人で外出できるようになりました。とはいえ、手足の末端神経はずっとしびれているし、一歩一歩踏み出すのにも慎重にならざるを得ません。自転車は、バランスを崩したら、立ち直るのに手足がうまく動いてくれるだろうか、と心配で未だ乗っていません。

美術館や映画の鑑賞など、少しずつ自分の時間をとりもどしつつあります。

さてこれから

自宅の稽古は再開しました。

ブログも少しずつ充実できるよう、まずは健康を維持していきたいと思っています。

そして少しでも長く続きますように。

 

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