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<儒教の精神と茶の湯>
久々の更新です。
栄一翁は茶の湯に対して覚めた見方をしていました。これは栄一翁が儒教を信奉していたことと関係があるのかもしれません。というのも、栄一翁の茶の湯に対する姿勢を知ったとき、中国宋時代に残された「三酢図」という寓話を思い出したからです。
儒教を広めた孔子、仏教の釈迦、道教の老子、この三人が酢の入った壺に指を浸してなめました。
孔子は「酸っぱい」といい、釈迦は「苦い」といい、老子は「甘い」といったという話です。
実利主義の孔子はそのままを言い当てます。栄一翁もおそらく「酸っぱいものは酸っぱい」という人物っだったに違いありません。栄一翁の著書「論語と算盤」からの引用を繰り返しますが、「自分は言行の規矩として儒教を信仰しているが、民衆には宗教が必要だ。その宗教が形式化しているのは嘆かわしい。茶の湯も同様に、しきたりや旧習にとらわれず、日々新たな改革が必要なのではないか」という栄一翁の考えに私も深く同意します。
<深谷市で楽しむ現代の茶の湯>
幕末から明治の茶の湯は、幕府に守られていたものが失われ、大きな転換期を迎えていたのでしょう。栄一翁が目にしていた茶の湯の世界は、その転換期をまだ乗り越えていなっかったといえます。
日々改革が必要だという栄一翁の考えは明治期に限らず、現代にも生かされるべきと思っています。
そのような中、同じ深谷市内で「流派や慣習にとらわれず、自由に茶の湯を楽しみましょう」と茶会に誘ってくださる方があり、先日その方のお茶会に参加してきました。
場所は渋沢栄一の生誕地 深谷市血洗島にある林様のお宅です。
茶室に通じる露地は、打ち水に苔(こけ)が一層美しく、躙り口(にじりぐち)から見える床の間には洗練された花と季節を映す照葉(てりは=紅葉)、禅を極めた老師が揮毫(きごう)した掛け軸が茶室の雰囲気を厳かにしています。
伝統を守った四畳半の茶室で美味しい和菓子と薄茶をいただいた後は、まったく流派の異なる立礼(りゅうれい)席で寛いだお茶を楽しませていただきました。
またこの時期、青淵公園は地域のボランティアが飾り付けたイルミネーションが美しく、茶会の後は公園のイルミネーションを楽しみながら和装で散策もできました。
こうした自由な発想の茶会が地域に広がってゆくことで、栄一翁のいう「日々新たな改革」が実現できるのではと思います。林様には「次回は私の茶室におこしください」とお誘いいたしました。どんな趣向でお楽しみいただこうか、今から楽しみです。