古希を祝す

<古希の旅>

古希は老いる道の通過点。喜ばしいことなのか。子供たちがこぞって祝ってくれることは喜ばしい。悲壮な老化の道程も祝わってもらえば何かうれしく、楽しく心躍って、9月の彼岸の頃に九州旅行を楽しんだ。

同行してくれたのは長男の家族、家で待つチワワとの生活を請け負ってくれたのは次男夫婦。夫とともに感謝、感謝の旅であった。

 

<唐津焼窯元へ>

最初に訪れたのは唐津焼の窯元。

一昨年、縁あって十四代中里太郎右衛門さんの井戸茶碗を手に入れることができた。

この井戸茶碗は大振りで見こみが深い。湯や茶で満たすとほのかに雨漏りを生じ、肌はにわかに変化する。乾けばもとの静かな佇まい。面白い茶碗だ。こんな茶碗をどんなところで焼いているのか。自分の五感で確かめたい、というのが目的地に選んだ理由。

<400年前の陶工に出会えた気分>

茶わん購入時に八木橋デパートでお会いした当の太郎右衛門氏は、この日来客の接待に忙しそうで会話はできなかったが、工房の若い職人と親しく会話させてもらった。

工房にあったのは蹴轆轤(けろくろ)。現代の陶器の工房では電動のものがほとんどで、蹴轆轤を目にすることはできないのではないだろうか。

蹴轆轤の前で、職人が小さな皿に千鳥を描いていた。「約400年前も、同じような工程で、同じ柄を描いていました」という彼に、400年前に朝鮮半島からこの地へ移り住んだ人の姿が重なり、いとおしく感じた。

<「八女中央茶園」と「お茶の文化館」へ>

翌日は八女市へ。

私がお世話になっている江戸千家では、お家元が八女の抹茶を好んでお使いになる。あのナッツのような香り、まろやかな味の秘密はどこにあるのか、これも自分の五感で確かめたかった。

一日の訪問でそのような秘密を確認するのは不可能だが、現場を訪問できたことは貴重な体験だった。

最初の訪問場所は「八女中央茶園」。市街地から一時間近く山を登ったところに広大な茶園が広がっている。いつかテレビ番組でみたセイロンの茶園を思いださせるような光景。自然な山の斜面に整然と並んだ茶葉。美しかった。

山を少し下ると、「茶の文化館」があり、茶葉を自分で揉み、煎茶を作ったり、甜茶の葉を石臼で引いたりする体験ができる。

驚いたのは外国からの訪問客が多いこと。私たちが体験している間にも、中国からの団体客の一人が興味深げに近づき、係りの人に何か質問をしていた。また、私たちの後にはヨーロッパ系の家族が同じ体験をしていた。

この建物は八女の市街地から40分以上も山を登ってくるのだ。それでもこんなに多くの人が。しかも外国から訪れる。日本のお茶の文化はこれからどんな広がりを見せるのだろう。

<佐賀の海の幸満喫>

泊まったホテルの料理もおいしかったが、呼子のイカ料理は比するものが思い当たらない。

とはいえ、この先の旅はお茶とは少し離れるのでこのブログでは割愛させていただこう。

茶花の話 2

前回茶花について、とても簡単な私なりの定義を書きましたが、もう少し踏み込んで、茶花について考えてみます。

<茶室にあるただ一つの生命>

茶室には、亭主と客という人間がいます。あるいは、「独座観念」の場では亭主のみの場合もあるかもしれません。

いずれの場合でも、茶室に、人間以外で生命を持った存在は花のみです。

客を迎えるにあたり、亭主は様々な道具組を考えますが、最も心を砕くのは花ではないでしょうか。

花は時には庭に咲いているものもあるし、時には道端に見つけることもあります。

客を迎えるその日、その季節、客の心を惹きつけ、なごませ、あるいは驚かせることができる花。

命あるものゆえ、今朝生けて、夕べにはしおれてしまうこともあります。

今、開かんとするつぼみを生けたのに、夕べには開きすぎ、趣を失うこともあります。命あるものの宿命です。

<床の間に置かれる重要性>

花は掛け軸と同じように床の間に飾られます。茶事では、後座に花のみが飾られることもあります。

花を床の間に置くのは、仏事に用いられたことに由来するといわれています。

しかし私は、茶人が花に重要性を感じるのは、「花は人間に、生命の誕生と終わりを簡潔に教えてくれる重要なツールととらえている」からだと思うのです。

<花を生ける術>

数十万、数百万円の茶碗や茶入れより大切な今日の「花」。

花はそこにあるだけで美しいのですが、茶人はそこにいくつかの法則を見出し、それをあてはめ、一輪の花さえ芸術品に相当するものに変えようとします。

時代を追うごとに茶人によって見出された法則は増え、どの法則に従えば花をさらに美しい芸術にまで高められるのか、現代の茶人は迷路にはまってしまっているようです。

むしろ、利休さんの原点に帰り、「花は野にあるように」生けるのが最も美しいといえるでしょうか。実は最もむずかしいのですが。

 

茶花の話

<茶花とは>

茶花とは、と問われてはっきりと定義できる言葉はありません。しいていうなら、茶室あるいは茶会や茶事に飾られる花、でしょうか。

「禁花」と呼ばれ、茶会や茶事に飾るのは避けたほうが良いといわれる花があります。
匂いがきつい、縁起が悪い、とげがある、見た目にグロテスクなものなどです。しかし、それも人によって感じ方が違う場合がありますから、はたしてどうなのか、と思ったりもするのです。
参考までに、千利休が伝えたとされる禁花は「じんちょうげ、みやましきみ、けいとう、おみなえし、こうほね、きんせんか、せんれいか」などです。

<ガマの穂はどうでしょう>

この季節、近くの水辺に茶色の穂がゆれ、独特の目のガマの穂を目にすることができます。茶色い穂は小さな花の集まりで、夏の終わりにふわふわの綿毛に変わります。昔話にでてくる因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)もこんなやわらかな綿毛にくるまれ、傷んだ肌もさぞ癒されたことでしょう。

また、今日は土用の丑の日。「かば焼き」の語源もこのガマの穂にあるそうで、むかしは、うなぎを開くことはせず、ガマの穂のような形のまま焼いたそうです。「蒲(がま)焼き」が「かばやき」と呼ばれるようになり、表記は「蒲焼き」がそのまま残ったようですね。

 

 

さて、そのガマの穂をいただく機会があり、待合に飾ってみました。
インパクトがあり、面白い。思い切って床の間でもよいかも。季節感もありますしね。

誰にでも病は訪れます

闘病記というほどではありませんが

喜寿を迎えるころとなりました。いくつかの病は経験しましたが、初めてガンを宣告されました。

切除から約一年、まだまだ闘病のさなかですが、ブログが滞った言い訳を兼ねて少し振り返ってみます。

病は突然

昨年、3月の大寄せ茶会も終わり、日々の稽古に忙しく過ごす中、突然の不正出血に不安を覚え、病院に駆け込みました。

当初の医師の見立ては「子宮体癌」。しかし、術後の詳細な結果は「子宮がん肉腫」でした。いわゆる「希少ガン」に属し、治療の例も少ないものです。「転移が確認されれば余命数か月ということもあり得ます」という医師の言葉は「あなた、もうすぐ死ぬかもね」と聞こえ、病院からの帰りの車は夫も息子も口数少なく、私は8月の緑の景色を見て「これが地球の景色ね。草いきれが匂い立つようだわ」と独り言のように心でつぶやいていました。

ストーマって何?

8月のお盆のころに手術を計画していましたが、6月の終わり頃から発熱し、緊急入院。当初の予定を早めて7月24日に手術となりました。

7時間に及ぶ手術でしたが、ずっと寝ていた身には何がおこっているかもわかりませんでした。ずっと控えていた夫には気の毒だったと思っています。

手術から目覚めれば、なんと右の脇腹に「ストーマ」という人工肛門がついていました。子宮と一緒に大腸の一部も切除したので、残された大腸がきちんと働けるようになるまで人口肛門で排泄物を処理するのだそうです。

このストーマを付けた自分の姿はショックでした。一時的な処置とはいえ、この期間は7か月に及びました。数日おきに便を受け止めるプラスチックバッグを交換しなければならず、食したものが詰まってしまわないか、破裂したらどうしよう、漏れていないか、など気持ちが休まるときはありませんでした。

今年の2月末にストーマ閉鎖の手術を受け、やっと人並みな行動をとれるようになりました。

抗ガン剤の後遺症

ストーマとの不安な生活に拍車をかけたのが、抗がん剤投与とその副作用です。

抗がん剤投与を始めて最初の1カ月くらいはあまり変化を感じませんでした。しかし、回を重ねるに従い、髪が抜け始め、数メートルを歩くにも呼吸は乱れ、手足は言うことを聞いてくれません。

4週おき、6回の投与が終わったのは12月の終わりころでした。

投与期間中は免疫機能が落ちているため、人込みには近づけず、足の運びもおぼつかないので、外に出ることはめったにありませんでした。

貧血の症状も顕著で、輸血もしました。

やっと外出

そんな隠遁生活のような日々を徐々に抜け出て、最近やっと一人で外出できるようになりました。とはいえ、手足の末端神経はずっとしびれているし、一歩一歩踏み出すのにも慎重にならざるを得ません。自転車は、バランスを崩したら、立ち直るのに手足がうまく動いてくれるだろうか、と心配で未だ乗っていません。

美術館や映画の鑑賞など、少しずつ自分の時間をとりもどしつつあります。

さてこれから

自宅の稽古は再開しました。

ブログも少しずつ充実できるよう、まずは健康を維持していきたいと思っています。

そして少しでも長く続きますように。

 

茶道と紫陽花

梅雨に彩りを添える、静けさの美学

しとしとと降り続く梅雨の季節。空は灰色に沈みがちで、つい気分も晴れなくなってしまいがちですが、そんな雨の季節だからこそ美しく咲き誇る花があります。
それが、紫陽花(あじさい)です。

色を変える神秘的な花姿、雨粒をまとったしっとりとした風情。紫陽花は、まさに日本の「侘び寂び(わびさび)」の心を体現するような存在です。
そして、この時期にこそ心に染み入る文化があります。そう、茶道です。

雨音と共に味わう、一服の静けさ

茶道と聞くと、格式ばった世界を思い浮かべるかもしれませんが、その本質は「今この瞬間を大切にする」という一期一会の心にあります。
雨の日に、にじり口から一歩茶室に足を踏み入れると、そこはまるで別世界。
軒先から滴る雨、畳に響く静かな足音、湯が沸く音と共に立ち上る湯気。すべてが五感を包み込みます。

そんな中、ふと床の間に目をやると、花入に活けられた紫陽花が目に飛び込んできます。
この一輪があるだけで、茶室全体に季節が息づき、空間がぐっと引き締まるのです。

紫陽花は「移ろい」の象徴

紫陽花は、咲き始めから終わりまでに花の色が変化することから、「七変化」や「移ろいの花」とも呼ばれます。
この色の変化は、土壌の酸性度によっても左右されると言われており、同じ株であっても青から紫、時には赤みを帯びることもあります。

この「変化する美しさ」は、まさに茶道における「無常観」と深くつながります。
今この一瞬しかない、その儚さゆえの価値。だからこそ、紫陽花は茶室にふさわしい花なのです。

花を活けるというおもてなし

茶道において、茶花(ちゃばな)は欠かせない要素のひとつ。
豪華ではなく、むしろ控えめに。野に咲くように自然に。
それが茶花の基本であり、紫陽花のような素朴で風情のある花は、まさに茶の心を映す鏡のようです。

花を選び、剪定し、花入れに活ける。それは、亭主のもてなしの心そのもの。
「この時期だからこそ、この花を楽しんでほしい」という思いが、茶室の静寂の中にそっと込められているのです。

雨の日の茶会は、むしろごちそう

梅雨の茶会は、雨そのものが演出のひとつとなります。
傘をたたみ、しっとりと濡れた石畳を踏みしめて茶室に向かう時間さえも、日常とは切り離された特別なひととき。
その途中、ふと道端に咲く紫陽花が目に入れば、それもまた、自然からの一服のおもてなしです。

おわりに

茶道と紫陽花。どちらも静かな佇まいの中に、深い美意識と季節へのまなざしが込められています。
日々忙しく過ごす中で、ほんの少し立ち止まり、紫陽花の花に目をとめる。
そんなささやかな行為が、まるで一服の抹茶のように、心にやさしい余白を与えてくれるのかもしれません。

雨の季節にしか味わえない、日本ならではの美しさを、どうぞ大切に。

炉から風炉へ

これまで客の膝元を暖めてきた炉の炭を、5月からは、

客から少し離れた位置に移動します。

<風炉の季節>

5月は風炉の季節の始まりです。

昨年の11月から先月までは、点前座の右側、つまり客よりに炉を切って、 客が少しでも暖をとれるような工夫がしてありました。5月ともなればもう初夏ですので、炉を塞ぎ、客から炭の火を少し遠ざけた位置に風炉を置きます。

床の間の花も初夏を思わせるものに次第に変化してゆきます。

風炉の中に入れる香は、香木をそのまま小さなかけらにして入れます。これまで炉に使ってきた練香より涼しげな趣へと変化してゆきます。

炉の灰をすべて外に出し、風炉に置き換えて、灰を形作る作業は大変な作業ですが、初夏の風を感じることができる貴重な時間です。

 

<今日の一句>

初風炉炭香をくゆらせ閑かなる       華雪

(しょふろずみ こうをくゆらせ しずかなる) かせつ

初めての席主

 2024年3月31日、深谷公民館で初めて大寄せ茶会の席主を務めました。

<茶会に意味があるのか>

これまで大寄せの茶会を催すことには幾分かの疑問をいだいていました。なぜ一度に大勢の人をお招きし、次々と忙しくお茶を飲んでいただくのか?なんの意味があるのか?

はたして茶会が終了してみると、予想外の展開となり、驚いています。

予想外だったのは、茶会の行われた一日を通じ、生徒一人一人が大きく成長し、それぞれに感慨をもってくれたことです。どんな感慨だったか、茶会のあとに生徒から送られたラインの一部を抜粋してご紹介します。

Aさん「これまでの稽古を含め、茶会に向けて色々教えていただきありがとうございました。先生が今までの準備にどれだけ時間がかかったのかを思い、本当のおもてなしの意味を学ばせていただきました」

Bさん「今日は裏方のお仕事を体験させていただきました。お点前は苦手で、今回のお茶会への参加も遠慮しようと思っていましたが、同じように裏方のお仕事を手伝ってくださった方々や、お客様としてお見えになった同級生や近所の皆様との出会いがあり、とても貴重な体験をさせていただきました」

Cさん「今日はあっという間に時間が過ぎました。最初はうまくお点前ができるか、とても緊張しましたが、皆さんが温かく声をかけてくださったので、自信をもってお点前できました」 などなどです。

 

<茶会を乗り越えて>

茶会の準備は確かに大変でした。

まず、季節感は何に焦点をあてようか。春といえば桜。でも桜はすでに町じゅうにあふれ、どなたの目も心も桜であふれていることでしょう。目に見えないけれど、感じられる季節感。そうだ「水ぬるむ季節」にちなみ、水や水辺にある生命をテーマにしましょう。

テーマに沿った道具を一つ一つ選び、組み立てる作業はわくわくもしましたが、手持ちの道具だけでは間に合わず、結局、予算を上回る出費とならざるを得ませんでした。

茶会当日までの苦労は数えあげればきりがありません。しかし、終わってみれば充実感に満たされ、生徒一人一人の成長も感じられるなど、収穫の方が苦労をはるかに超えるものでした。当初の疑問は消え、茶会の席主を務めることに大いに意義を感じる結果となりました。

また、稽古に来る生徒たちだけでは150人からのお客様をもてなすのは無理なので、家族や友人を頼ることとなったのですが、この経験もまた、互いの絆を深める結果となり、大きな収穫となりました。

写真は最後にスタッフ全員で一服をいただいているところです。

AIに出会って

前回のブログで「お茶と和菓子の魅力」というAIが書いた原稿をお読みいただきました。感想はいかがだったでしょう?

私の感想は「さすがAI。知識が豊富で理路整然。でも人間の顔が見えない」です。

 

もし、私が同様のテーマで書くなら、次のようなタッチかな。

 

<茶席に必要なアイテム>

 

私が普段の茶の湯の稽古で、これは絶対必要と思うアイテムが二つあります。一つは花、二つ目に菓子です。もちろん、湯を沸かし、茶を掃く(缶に入った抹茶を漉しあみをとおして漉しておくこと)、掃除を済ませるなど必要以前の準備は数多くありますが、今日の稽古にぴったりの花と菓子がそろうと「よし、準備完了」と、ほっとできるのです。

 

 

<茶席での花の役割>

 

花は当然、その季節のものですから、早春に梅や水仙が生けられていれば、誰もが「あ、この季節が来たのですね」と新しい季節の到来に心弾ませ、深まる秋に「照葉(てりは・紅葉した植物の葉)」が生けてあれば、近づく冬に、心がわびてゆく(閑に、寂しく落ち着いてゆく)のを感じとることができます。

 

花は何の作為もなく、あるがままに存在し、私たちも花と同じ生命を宿す自然の一部であることを思い起こさせてくれます。

 

<茶席での菓子の役割1>

 

では、菓子にはどのような役割があるでしょう。菓子も季節感を味わうアイテムのひとつですが、花のように直接的でなく、抽象的に表現されることもあり、作り手の感性によって、一層深く季節を感じることもできます。

 

例えば、写真は「若鮎」という銘の菓子ですが、うす緑色の蒸しカステラが若葉の春を連想させ、躍動的な若鮎を包み込む壮大な自然までも表現しています。

<茶席での菓子の役割2>

 

正式なお茶席は「茶事」と呼ばれ、お茶を飲む前に簡単な食事を提供します。多くのお茶席は、たくさんの客を招く「大寄せ」と呼ばれる形式なので、食事の提供はしませんが、甘いお菓子を提供します。

 

なぜ食事を提供したり、菓子を提供したりするのかというと、いきなりお茶が胃に入ると刺激が強すぎるからです。

 

そもそも、お茶は古くから薬として飲用されていました。時代が進むにつれ、日本では抹茶や煎茶という形に定着しました。今回、話のテーマとして書いているのは抹茶です。

 

抹茶には濃茶と薄茶がありますが、茶の湯が形作られたころ、多く飲用されていたのは濃茶ではないかといわれています。

 

濃茶は薄茶よりも字のとおり濃く、ドロッとしています。濃茶を空腹の胃にいきなり流し込むと、薬としての成分が胃を強く刺激してしまうので、甘い菓子を先に食べておくことで刺激を和らげているのです。

 

また、お茶の種類によっては、タンニンなどの苦みが強く感じられるため、和菓子の甘みが舌に残っていることで、苦みを中和してくれるのです。

 

以上です。

 

<AIと付き合いながら>

 

個人が自分の考えや行動を世界中に瞬時に発信できる現代。AIはそれらの情報を集積し、あたかも自分のものとして再発信してゆきます。しかし、再発信される情報がAIによるものばかりになれば、情報が画一的になり、AIは自ら劣化してゆくのではないか、と危惧する声もあります。

 

AIをツールとして賢く使いこなし、上質なものとして維持してゆきたい、というのが今回AIに出会って感じたことです。

 

AIのように理路整然とは書けませんが、私という個人が向き合うお茶の世界を、ブログをとおしてお披露目するのであれば、やはり自分で書いたものを読んでいただきたくて、挑戦しました。

 

もう少し踏み込んだテーマも挑戦してみようと思いますが、時々は、AIに相談しながら、ということで。

AIを使ってみました

AIに下記のようなテーマで書いてもらいました。

お読みになってみてください。

 

  1. お茶と和菓子の歴史

日本におけるお茶の歴史は古く、平安時代から続いています。当時、お茶は主に宗教的な儀式や上流階級の嗜好品として用いられていました。一方、和菓子の起源は奈良時代に遡り、元々は中国から伝わった「餅」が始まりとされています。時代が下るにつれ、茶の湯文化の発展と共に、お茶と和菓子の組み合わせが日本の伝統文化として根付いていきました。

  1. お茶の種類と特徴

お茶にはいくつかの種類があり、それぞれ異なる風味と特性を持っています。例えば、緑茶には抹茶や煎茶があり、これらは発酵させないで作られるため、フレッシュで緑豊かな風味が特徴です。一方、ほうじ茶や玄米茶などは、焙煎することで香ばしい風味が楽しめます。

 

  1. 和菓子の種類と特徴

和菓子には様々な種類があります。代表的なものに「饅頭」「大福」「羊羹(ようかん)」などがあり、これらは餅米や小豆を使用して作られることが多いです。和菓子は見た目の美しさも重視され、季節に合わせた色や形で表現されることが特徴です。

 

  1. お茶と和菓子の組み合わせ

お茶と和菓子の組み合わせは、日本のおもてなし文化の一環として重要な役割を果たしています。例えば、苦みの強い抹茶には、甘みのある和菓子がよく合います。これは、お茶の味を引き立てると同時に、和菓子の甘さを和らげる効果があります。

  1. まとめ

日本のお茶と和菓子の文化は、長い歴史を通じて磨かれ、今日に至っています。その組み合わせは、ただの飲食物を超え、日本の伝統と美意識を表現するものとなっています。皆さんも、この素晴らしい文化を通じて、日本の歴史や伝統に親しむことができるでしょう。

以上です。

 

AIの書いた文章はいかがでしたか?

次回はもう少し掘り下げたテーマにも挑戦してみたいと思います。

郷土の古刹で茶摘み

<古刹国済寺で茶摘み>

私が居住する埼玉県深谷市には国済寺という臨済宗の古刹があります。同寺のホームページによれば創建は1390年、深谷上杉の祖、上杉憲英(のりふさ)によるものと記載されています。

 

このたび、友人を通じて、同寺の境内にある茶の新芽を摘んでよいとの機会をいただきました。

今年(2023年)の八十八夜は5月2日だったそうですが、その三日後の5月5日、準備を万端整え、その友人とともにいざ茶摘みに。

 

茶の湯を学ぶものとして、今後の参考とするため、どんな様子だったかを記録し、皆様にも紹介いたします。なお、作業工程は東京都西多摩郡の茶工房「西村園」さんのホームページを参考にさせていただきました。

 

<準備したもの>

ざる、蒸し器、キッチンペーパー、クッキングシート、うちわ、菜箸、計量器、ホットプレート

 

<いざ茶摘み、そして手揉み茶をつくる>

8時50分 国済寺ご住職に挨拶を済ませ、境内にて茶摘み開始

茶葉は密閉容器に入れると熱を持ちやすいので、キッチンで使うステンレスのざるを使用。

薄緑色の若葉を注意深く、やさしく摘んではかごへ

茶摘み作業は1時間未満で終了。

10時 自宅にて

  • 茶葉を計量 (今回の総重量275g)

  • ざっと水洗いし、蒸し器へ(やわらかい新芽だったので蒸し時間は1分程度)この工程で茶葉はいわゆる「甘涼しい香り」をただよわせ、仕事の労をねぎらってくれる。
  • 蒸し上がった茶葉の水分をキッチンペーパーでふき取り、ホットプレートで乾燥させる。

この時、ホットプレート上にクッキングシートを敷き、「保温」モードにすることで適温とされる37度くらいをキープした

程よく乾燥し始めたら、乾燥を続けながら手で揉む。これをひたすら続ける

  • 乾燥した茶葉が、ポキッと折れるようになれば完成。完成後の茶葉の重量は約90g。理想は5分の1くらいになるまで乾燥させるらしい。3分の1では乾燥が十分でないのかもしれない。
  • 試飲をしたところ、色も香りも十分満足できた。

 

 

結局 すべての工程は約6時間を要した。

15時 出来上がった茶を国済寺に届け、自分たちも分けて解散。

<煎じただけでは終わらない茶の奥深さ>

後日、朝の情報番組を参考に煎じた後の茶葉を食べてみた。美味しかった。

普段茶の湯教室の生徒さんと、抹茶の香りや味を比べることはしていたが、茶葉そのものの味、香りを五感で感じ取ることができたのは貴重な体験だった。お茶の勉強がますます楽しくなった。