AIに出会って

前回のブログで「お茶と和菓子の魅力」というAIが書いた原稿をお読みいただきました。感想はいかがだったでしょう?

私の感想は「さすがAI。知識が豊富で理路整然。でも人間の顔が見えない」です。

 

もし、私が同様のテーマで書くなら、次のようなタッチかな。

 

<茶席に必要なアイテム>

 

私が普段の茶の湯の稽古で、これは絶対必要と思うアイテムが二つあります。一つは花、二つ目に菓子です。もちろん、湯を沸かし、茶を掃く(缶に入った抹茶を漉しあみをとおして漉しておくこと)、掃除を済ませるなど必要以前の準備は数多くありますが、今日の稽古にぴったりの花と菓子がそろうと「よし、準備完了」と、ほっとできるのです。

 

 

<茶席での花の役割>

 

花は当然、その季節のものですから、早春に梅や水仙が生けられていれば、誰もが「あ、この季節が来たのですね」と新しい季節の到来に心弾ませ、深まる秋に「照葉(てりは・紅葉した植物の葉)」が生けてあれば、近づく冬に、心がわびてゆく(閑に、寂しく落ち着いてゆく)のを感じとることができます。

 

花は何の作為もなく、あるがままに存在し、私たちも花と同じ生命を宿す自然の一部であることを思い起こさせてくれます。

 

<茶席での菓子の役割1>

 

では、菓子にはどのような役割があるでしょう。菓子も季節感を味わうアイテムのひとつですが、花のように直接的でなく、抽象的に表現されることもあり、作り手の感性によって、一層深く季節を感じることもできます。

 

例えば、写真は「若鮎」という銘の菓子ですが、うす緑色の蒸しカステラが若葉の春を連想させ、躍動的な若鮎を包み込む壮大な自然までも表現しています。

<茶席での菓子の役割2>

 

正式なお茶席は「茶事」と呼ばれ、お茶を飲む前に簡単な食事を提供します。多くのお茶席は、たくさんの客を招く「大寄せ」と呼ばれる形式なので、食事の提供はしませんが、甘いお菓子を提供します。

 

なぜ食事を提供したり、菓子を提供したりするのかというと、いきなりお茶が胃に入ると刺激が強すぎるからです。

 

そもそも、お茶は古くから薬として飲用されていました。時代が進むにつれ、日本では抹茶や煎茶という形に定着しました。今回、話のテーマとして書いているのは抹茶です。

 

抹茶には濃茶と薄茶がありますが、茶の湯が形作られたころ、多く飲用されていたのは濃茶ではないかといわれています。

 

濃茶は薄茶よりも字のとおり濃く、ドロッとしています。濃茶を空腹の胃にいきなり流し込むと、薬としての成分が胃を強く刺激してしまうので、甘い菓子を先に食べておくことで刺激を和らげているのです。

 

また、お茶の種類によっては、タンニンなどの苦みが強く感じられるため、和菓子の甘みが舌に残っていることで、苦みを中和してくれるのです。

 

以上です。

 

<AIと付き合いながら>

 

個人が自分の考えや行動を世界中に瞬時に発信できる現代。AIはそれらの情報を集積し、あたかも自分のものとして再発信してゆきます。しかし、再発信される情報がAIによるものばかりになれば、情報が画一的になり、AIは自ら劣化してゆくのではないか、と危惧する声もあります。

 

AIをツールとして賢く使いこなし、上質なものとして維持してゆきたい、というのが今回AIに出会って感じたことです。

 

AIのように理路整然とは書けませんが、私という個人が向き合うお茶の世界を、ブログをとおしてお披露目するのであれば、やはり自分で書いたものを読んでいただきたくて、挑戦しました。

 

もう少し踏み込んだテーマも挑戦してみようと思いますが、時々は、AIに相談しながら、ということで。

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